企業のコーチングプロジェクトを担当していると、プロジェクトのオーナーからは
「○○さんには視座を高めてもらいたい」という期待をよく耳にします。
ところが多くの場合、実際その言葉が何を意味しているのかは、ほとんど具体化されない
ままのことが多いように感じます。
視座を高めるとはいったい何を指しているのでしょうか。
経営者視点で考えること、中長期で物事を見ること、自部門を越えて全社視点で捉えること。
このように表現されることもありますが、単に「経営者の立場に立って考えてみる」ことで、
視座が高まるのでしょうか?
そもそも視座とは、物事を捉え、判断するときに、人がどこに立ち、何を引き受けて見ている
のかという「立ち位置」に近いものだと思います。どの立場から、どのレベルで、どの前提に
立ってみているのか。その立ち位置が揺らいだ時に、結果として視座が変わっていた、と後から
気づくものではないでしょうか。そう考えると、視座は意図的に高めようとして高められるもの
でもないように思います。
それでもなお、「視座を高めること」はコーチングに期待されることの多い成果であり、クライ
アントに求められる変化でもあります。
■「Aさんは何も変わってない」
次期社長候補として期待されているAさんのコーチを担当したときのことです。
Aさんは、ある事業の責任者として自分の管掌領域で高い成果を上げてきた方でした。知識も経験も
豊富で、その領域においてAさんの右に出る人はいないほどの存在です。一方で、今後は自部門に
とどまらず、全社視点で経営を見る「視座を高めてほしい」という期待と共にコーチングがスタート
しました。
Aさんとのコーチングは「会社の要である事業部門を強くしたい」というテーマから始まり、次の
ような問いで私たちは対話をしていきました。
会社の10年後の姿をどう描いているのか?
事業部門だけが強くなればいいのか?
他部門との関係性はどうあるべきか?
もしAさんが社長の立場だとしたら何が最優先だと思うか?
コーチングが進むにつれ、Aさんからはしだいに全社視点での言葉が語られるようになりました。
事業部門単体では成長が頭打ちになること、そのためには会社全体としての意思決定の質を高める
必要があること、部門を越えた連携のあり方を見直す必要があり、そこを自分がリードしていきたい…
Aさんの関心は個別最適から全体最適へと広がり、語られる言葉も一見すると視座が高まったように
見えました。
しかし同時に、どこかAさんの立ち位置は変わっていないような違和感も残っていました。私はちょっと
したその違和感には踏み込まないまま、オーナーにもAさんの変化で感じることを共有しました。
しかし、オーナーから返ってきた言葉は意外なものでした。
「Aさんは全く変わっていない」
視座が高まったように見えていたのに、実際は変わっていない。このズレは何だったのか。私が
Aさんに投げかけた問いがよくなかったのだろうか。
正直に言えば、私自身「視座が高まる」ということに対して輪郭が曖昧であり、Aさんの発言や
視点の変化を一つの指標として捉えてしまっていたのだと思います。
振り返る中で見えてきたのは、問いの内容ではなく、私とAさんの関係性の中で「視座を上げる人/
上げさせる人」という構図が出来あがっていたことでした。
私は、無意識のうちにAさんを「視座が足りている/足りていない」という枠組みで見ていました。
コーチングにおいても「足りない視点をどう入れ込むか」という発想で関わっていたのです。その
関係性においては、Aさんは自分の迷いや葛藤をさらすよりも、「経営者としてふさわしい答え」を
差し出す方が、きっと安全で自然だったのだと思います。
■関係性に一歩踏み込む
私たちは、自分が何を引き受け、何を避け、そしてその選択によって何を失いうるのかという葛藤に、
意識的に向き合う必要があるのではないでしょうか。その選択によって、これまで築いてきた周囲
との心地よい関係性や、他者からの評価が変わってしまうかもしれない。それでもなお引き受けるのか、
という問いが突きつけられます。そうした緊張や迷い、葛藤に真正面から向き合った末に、人は新たな
立ち位置を選び取っていくのだと思います。
視座が高まる、つまり自分の立ち位置が揺れるには何が必要なのでしょうか。
「Aさんは何も変わっていない」と言われて以降、私はAさんにコーチングで感じた違和感を共有する
ようにしました。最初は「Aさんとこれまで築いてきた関係性が崩れてしまうのではないか」という
不安がありましたが、それは杞憂に終わりました。むしろ「視座を上げる人、上げられる人」という
関係から、一緒に答えのない問いに向き合う関係に変化したように思います。こちらが「信頼関係が
壊れてしまうかも」「安心・安全を脅かしてしまうかも」と思って関わると、相手も警戒してしまう。
関係性はお互いが作り出していることをつくづく感じました。
人が成長する際、安心・安全な場があることは、相手の成長の土台にもなり、大切なことです。
しかし、ただ心地よい関係性の中では、たとえ立派な言葉が交わされていたとしても、立ち位置が揺さ
ぶられることはありません。緊張感が漂う瞬間があったとしても、お互いの信頼関係が脅かされる
ことのない関係性を構築していくこと。この境界線を見極めるのは難しいことですが、勇気を出して
一歩踏み出すことで、その関係性は変化することをAさんから学びました。
これは、コーチングの場そのものが、どのような関係性で成り立っているのかという問いでもあります。
コーチとクライアントのあいだに、どのような緊張を置くのか。関係が揺らぐ可能性から目を逸らさずに、
そこに立ち続けられるのか。この経験以降、私はコーチとして、自分がどこに立ち続けようとしている
のかを、問い直しています。
日本コーチ協会 正会員
高村友梨
