エグゼクティブコーチをしていると、クライアントから学ばせてもらうことが
少なくありません。
今回は、あるエグゼクティブとの対話を通じて、私自身のコーチ観が揺さぶられた
経験について書きたいと思います。
クライアントであるAさんと初めてお会いした時、私は強く惹きつけられました。
人材育成について語る時の熱量。人の可能性を信じる姿勢。そして、自らも学び続け
ようとする謙虚さ。
初回セッションを終えた帰り道、私は自然と「この人と仕事がしたいな」と思っていました。
今振り返ると、尊敬だけでなく、憧れにも近い感情だったのかもしれません。
そして、その憧れが後になって私自身を縛ることになります。
■私はこの人に何を提供できるのだろう
私には以前から、大切にしているコーチ観がありました。
コーチとして、安心して本音を話せる「Home」のような存在でありたい。クライアントが
肩書きや役割から離れ、自分に立ち返れる場所でありたい。
一方で、それだけでは不十分だとも考えていました。
クライアントの成長に貢献するには、新しい視点やクリティカルな問い、フィードバックを
届ける必要がある。それがコーチの価値だと思っていたのです。
ところが、このAさんとのセッションでは、その前提が少しずつ揺らいでいきました。
問いを投げるたびに、Aさんは自ら考えを深めていきます。
組織のこと、人材育成のこと、リーダーとしての葛藤…どのテーマも複数の視点を行き来しながら、
自分の言葉で語っていく。時には、私が考えていた以上に広く、深く。
その姿を見るうちに、「私はこの人に何を提供できているのだろう」という問いが大きくなって
いきました。むしろ私が学ばせてもらっているのではないか。
私はただ、話を聴いているだけなのではないか。
■「あなたはまだ私に遠慮している」
ある時、その気持ちをAさんをよく知る方に相談すると、「聴いてもらうだけでも価値があるんじ
ゃないですか」と言われました。
少し安心しながらも、どこか腑に落ちませんでした。
今振り返れば、私は「コーチは価値を生み出し、クライアントの成長に貢献しなければならない」
という前提にとらわれていたのだと思います。
また、それだけではなく、私はAさんに認められたかったのかもしれません。
価値のあるコーチだと思われたい。期待に応えたい。尊敬している相手だからこそ、そんな気持ちが
あったのでしょう。
私は思い切って、本人に伝えることにしました。
「率直に言うと、私はあなたにどんな貢献ができているのだろう、と考えることがあります」
コーチとして未熟だと思われる怖さもありました。それでも、本音を隠したまま関わる方が
不誠実な気がしたのです。
Aさんは少し考えた後、こう話してくれました。
「実は、自分の想いを率直に話せる人って社内では限られているんです。この時間は、自分が本当に
大切にしていることや、自分の気持ちを改めて思い起こす機会になっている」
そして対話の最後、こんな言葉をくれました。
「あなたは、まだ私に遠慮しているように感じる」
「貢献という意味では、私もあなたのコーチとしての成長に貢献したい。だから、感じたことは、
どんどん率直に伝えてほしい」
私は言葉を失いました。
どうやってAさんに貢献するか。どうやって価値を提供するか。そんなことばかり考えていた私にとって、
「私もあなたの成長に貢献したい」というAさんの言葉は、まったく予想していないものでした。
■尊敬しているからこそ、率直でいる
あの日を境に、対話の質は変わったように思います。
それまで私は、「相手は何を考えているのか」「何を感じているのか」「どこに可能性があるのか」に
意識を向けることがコーチのあるべき姿だと思っていました。
一方で、「私は何を感じているのか」「私はこの関係性をどう捉えているのか」には、ほとんど意識が
向いていませんでした。
それ以降、私は自分の感情や違和感も対話の中に持ち込むようになりました。正解やアドバイスを伝える
のではなく、その瞬間に私が感じていることを率直に差し出すのです。
すると、Aさんも以前より率直に語ってくれるようになり、扱うテーマも組織や部下のことだけでなく、
私たち自身の関係性へと広がっていきました。
振り返ると、私が率直になれなかった背景には、このAさんへの憧れがありました。尊敬しているからこそ、
「私なんかが伝えていいのだろうか」と思っていた。
けれど、Aさんが求めていたのは賞賛ではなく、率直な対話でした。
尊敬しているからこそ率直でいる。そんな関係性が必要だったのだと思います。
■価値を提供する、その前に
この経験を通じて、私のコーチ観は少し変わりました。正確には、原点に立ち戻ったと言った方が
近いかもしれません。
問いを投げなければならない。新たな気づきを生み出さなければならない。価値を提供しなければ
ならない。
もちろん、問いやフィードバックは大切です。しかし、その前にもっと大切なことがある。
それは、コーチ自身がひらかれていることです。
自分の感情や違和感、率直な想いを抱えたまま、等身大でその場にいること。
改めて、コーチは「Home」のような存在なのだと思います。
Homeとは、ただ居心地がよい場所ではなく、安心して本音を語り、お互いが率直でいられる場所です。
その安心感の中でこそ、本当に大切な対話が生まれていくのではないでしょうか。
あの日、私は「この人にどんな貢献ができているのだろう」という問いの答えを探していました。
けれど、得られたのは「価値を提供しようとするあまり、自分が見落としていたものへの気づき」でした。
コーチングとは、お互いが少しずつ自分をひらいていく営みなのかもしれません。
あなたは今、対話の中でどれだけ自分をひらいていますか。
そして、その相手とどのような関係性を育んでいきたいですか。
日本コーチ協会 正会員
篠田 智史
コーチングニュース Vol.292
2026年11月04日
