コーチングのクライアントやマネジメントしている部下に対して、私たちはどこかで「相手は
変わるべき存在だ」と思っていないでしょうか。
ICFコア・コンピテンシーのひとつに、「信頼と安全を育む」という項目があります。その
定義には、「相互に尊重し信頼する関係を維持している」という表現があります。
私は15年間コーチをしてきましたが、どこかでこれを「分かっている」「当然できている」
と、思っていました。クライアントのことも部下のことも、その人の存在を承認している
「良いコーチ」「良いマネージャー」だと長らく信じていたのです。
しかし昨年、その前提を大きく揺さぶられる出会いがありました。
なぜ相手を変えようとしてしまうのか
クライアントのYさんは、非常に優秀で、難しい状況の事業や組織を任されている方でした。
一方で、コーチング中に周囲に実施したアンケートなどでは、「話しかけにくい」「何を
考えているか分かりにくい」「優秀な人しかついていけない」「超優秀なプレイングマネージャー
から脱してほしい」といった、周囲との関係性に関するフィードバックが書かれていました。
私はこれまでと同じようにコーチングを進めましたが、問いかけに対する彼の答えは、
「目指す組織も明確です」「やるべきことも分かっています」といったもので、そこで会話が
閉じてしまいます。私は次第に困り果て、さらにはコーチとしての自信を失い、「分かって
います」と扉をシャットダウンするような彼のコミュニケーションに、自分が責められている
ようにさえ感じていました。
Yさんとコーチングしている間は、彼とのかかわりについて自分のコーチに何度も相談をしました。
その中で、改めて思い出したことがあります。
コーチングの研究者であるマーシャ・レイノルズの言葉です。
彼女は、「クライアントが話し、表現するものを、勝手な評価を加えずに、しっかりと受け取る」
と述べています。
Yさんとのかかわりを振り返ると、私は彼の言葉をそのまま受け止めることができていません
でした。「変わってほしいのに変わってくれない」「向き合ってくれない」という評価が、強く
なっていたのです。
なぜ私は、Yさんを変えようとしてしまっていたのか。
自分のコーチとの対話を通じて気づいたのは、私はコーチとしてだけでなく、上司としても、
「部下の成長テーマを見つけ、それを伝え、向き合わせることが役割だ」と考えてきたという
ことでした。「人の成長とは、課題を克服することだ」と、無意識のうちに捉えていたのです。
それは成果への責任や、「その方が相手のためになる」という善意から来ていました。
人が自ら変化を起こすのに必要なこと
Yさんとのかかわりを見直していくうちに、私は若いころに経験したとある出来事を思い出しました。
「〇〇さんと比べて、あなたは何ができていないと思う?」
ある日、私は上司にこう問われたのです。私はその人より自分が劣っているとは思っていなかった
ため、とても驚くと共に、腹が立ちました。同時に、「この人にとって自分は“できていない人”
なのだ」と感じ、モチベーションもその上司への信頼も一気に失いました。
そのときです。二人の先輩社員が上司に対して、
「酒井さんはできていない人ではありません。二度とそういうかかわり方はしないでください」
と言ってくれました。
その言葉に、どれだけ救われたか分かりません。もちろん、当時の私にも成長すべき点は多く
あったはずです。それでも、二人の先輩は「改善すべきダメな存在」としてではなく、ありの
ままの自分を受け止めてくれたのです。
この二人の存在があったからこそ、その後も仕事を続けてこられたのだと思います。
ここには、「人が自ら変化を起こすときに何が必要なのか」という問いがあるように感じます。
これらの体験から、次のように考えることができるのではないかと思います。
・人は、「課題を突きつけられる存在」として扱われたとき、防御的になる
・人は、「今のままで大丈夫だ」と感じられたときに初めて、変化に向かう余白が生まれる
改めて振り返ると、Yさんは自分が「変わるべき存在として扱われること」に抵抗していた
のではないかと、今は感じています。
「変化を起こす必要がある」ことを知ったからといって、変化を起こせるわけでも、変化に向き
合えるわけでもありません。むしろ、「ありのままの自分を認められること」が、変化や変容に
向かうエネルギーを生み出すのではないでしょうか。
弊社の創業者である伊藤守は、変容についてこう表現しています。
「変容とは、クライアントが別の人になることではなく、既にその人にある可能性に気づくことだ」
そう考えると、ICFコア・コンピテンシーにある「信頼」とは、「この人は変われる」と思うこと
ではなく、「この人は既に何かを持っている」ととらえることなのかもしれません。
あなたは、目の前のクライアントや部下を、どのような存在として見ていますか。
「変わるべき存在」として見ていますか。
「既に何かを持っている存在」として見ていますか。
日本コーチ協会 正会員
酒井 春奈
